少将井は『枕草子』にもでる。この地の邸宅もそれに因んで「少将井(少将院・少将井殿)」の名で呼ばれた。もと惟喬親王(844~97)の小野宮の附属地で,右大臣藤原実資(957~1046)に伝領された。その頃すでに泉は有名で近辺の人々も水を汲みにきていたという。やがて祠が建てられ,少将井社と呼ばれるようになった。少将井を示す石標は,近年まで建っていたが現在は確認できない。 Read more.
祇園祭にゆかりの様々な図書などを集めた「資料室」を開設しています。図録や歴史書、新聞記事など1000点あまりを所蔵しています。開室日 毎週火・木曜日午前10時から午後4時まで(正午から午後1時は休室)*祝日・年末年始・お盆その他都合により休室となります。 Read more.
中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町にある井水。『雍州府志』に「およそ、(祇園神)旅所に詣づる者、必ずこの水を汲みて面手を洗い、その後、旅所を拝す」とある。駒札では、もう少し詳しく「此地は往古祇園社御旅所社務藤井助正の屋敷地で庭前に牛頭天王社を建て毎朝この霊水を奉供。永禄十一年織田信長上洛の際、御旅所を移転した後もこの井水の格別なるを聞き、井戸に施錠し鍵は町方に渡し置き毎年祇園会の… Read more.
福知山市天田郡三和町にある大原神社の出張所。江戸時代までは三和町の大原神社の御札がここで販売され、その売り上げを三和町の大原神社に上納していた。ところが江戸中期頃、三和町の大原神社への上納金のトラブルによって疎遠となる。 2001年、約250年ぶりに両社の交流が再開。2002年、綾傘鉾の会所が社内に完成。なお新京極の善長寺はもともとこの町内にあった。詳細はリンク先に。 Read more.
建仁寺町通り(大和大路)と松原通りの名にちなんで、大正の末より建松会として結成される。当商店街が位置する弓矢町は、祇園祭り神輿を警護する弦召(つるめそ)保存町であり、この伝統を継ぐべく、毎年祇園祭の前には地域の子供達が集まって子供神輿を担ぎながら周辺を練り歩く。 Read more.
斧屋家より釜座町に寄付された京町家。その後、貸家として使われていたが、2010年、歴史遺産の保全を支援する民間団体「ワールドモニュメント財団」(WMF、米国)の助成を受け、改修された。2010年11月13,14日に、オープンハウスを行う。以後、京町家作事組に建物を貸し、京町家再生の拠点となる予定。 Read more.