悪王子社は,素戔嗚尊を祀る神社と伝え,もともとは当地に祀られていた。しかし慶長元(1596)年に豊臣秀吉の命により四条通寺町の祇園御旅所に移され,さらに四条通大和大路角に移った後,明治10(1877)年に八坂神社境内の本殿東側に移転した。この石標は,悪王子社の跡を示すものである。 なお現在,当地周辺を元悪王子町というのはこれに由来している。 Read more.
円山応挙(1733~95)は丹波国出身の画家。京都の石田幽汀(1721~86)に入門して,狩野派の画法を学んだ。また,宋元画の技術および西洋画の遠近法を加え,写実を重視した画風を興した。応挙とその後継者は円山派と呼ばれた。この石標は応挙の邸宅跡を示すものである。 Read more.
【しゅもくのずし】1637年(寛永14年島原の乱)ごろには「東くわんおんノづし or 観音ノ辻子 or くわんおん堂ノつし or 撞木辻子 or しもくのつし」などとあり、さらに1762年(宝暦12年)に『観音堂東辻子、俗に撞木辻子(しゅもくのずし)』と言われ現在に至る。ちなみに撞木辻子(しゅもくのずし)とは、通りの形がT地路 Read more.